シンガポールで腰が抜けた話
JALのFOP修行でシンガポール弾丸旅行に行った時の話です。シンガポールについてよく知らないままでのはじめての旅行でした。たまたま立ち寄ったシンガポール国立博物館の展示を見て、すごい脱力感に襲われました。シンガポール国立博物館の1階は歴史展示になっています。構成は次のとおりなんですが。。。
- 1818年まで:シンガプーラ(ライオンの町)と呼ばれる牧歌的な時代
- 1941年まで:イギリスの植民地だけど、古き良き時代
- 1945年まで:日本が占領して沼南島になった暗い時代
- 1945年から:植民地から独立してシンガポールになって今日へ
この展示を見て、出てくるのはため息だけでした。日本は迷惑な存在だったと考えられています。2階はシンガポールの生活の展示なんですが、ここでも同様です。
古き良き時代→迷惑な日本→発展の構成でした。
地階では大英博物館の逸品の展示が行われていて、ここでも大英帝国へのあこがれを見てとることができます。
終始、腰が抜けっぱなしでヘナヘナと展示室を見て回りました。そして、やはり事前に勉強はしたほうがいいなと思いました。
池上彰の世界の見方
さて、事前勉強には色んな方法があります。「地球の歩き方」シリーズには、必ず簡単な歴史が紹介されていますのでそれを読むのでもいいですし、Webサイトを検索してみるのもいいですね。
わかりやすさで定評のある池上彰さんの「池上彰の世界の見方 東南アジア:ASEANの国々」が出版されました。このシリーズは、高校生への講義をもとに書かれているので、とても読みやすくて現代史がサッと理解できるようになっています。
「池上彰の世界の見方」シリーズの一覧です。
- 15歳に語る現代世界の最前線(導入編)
- アメリカ(ナンバーワンから退場か)
- 中国・香港・台湾(分断か融合か)
- 中東(混迷の本当の理由)
- ドイツとEU(理想と現実のギャップ)
- 朝鮮半島(日本はどう付き合うべきか)
- ロシア(新帝国主義への野望)
- イギリスとEU(揺れる連合王国、2019年11月予定)
自分もこの時代を生きてきたので事件は知ってるけど、「この事件はこんな意味を持っていたんだ」と初めて気づくことが多くあります。日本と東南アジアの関わりを本書から見てみましょう。
東南アジア
第2次世界大戦中に日本が占領するまで「東南アジア」の概念はなかったそうです。日本の侵略に対して連合国がセイロン(当時)のコロンボに「東南アジア総司令部」をつくり、戦後にこの言葉が定着しました。
1967年にはASEANが設立されて、タイ、インドネシア、シンガポール、フィリピン、マレーシアが加盟します。
ASEANは共産主義への防波堤として結成されましたが、現在は経済協力を目指す組織となっています。現在の加盟国は10カ国です。これに東ティモールを加えた11カ国が東南アジアです。
日本が東南アジア諸国に支払った戦時賠償の総額は10億1208万ドルで、経済協力として支払った支援金は3億8186万ドルです。戦時賠償は支払いを終え、それはODAに引き継がれました。ODAには無償協力、有償協力、技術協力の3種類がありますが、日本は(返済の要らない)無償協力をほとんどしていません。日本は敗戦後に受けた有償協力によってインフラを整備し、懸命に働いてお金を返すことができた経験から「返さなければいけないプレッシャーがある方がその国のためになる」と考えています。
ベトナム
- 19世紀半ばにナポレオン3世がインドシナに出兵し、フランス=ベトナム戦争が始まる。
- ドイツがフランスへ侵攻し、それに呼応する形で1940年に日本がベトナムに進駐し、1945年に撤退。その後フランス軍がサイゴンを占拠。ホー・チ・ミンが率いるベトミンが独立戦争を始めたが、ベトミンをソ連と中国が支援、フランスをアメリカが支援して、ソ連とアメリカの代理戦争になっていく。
- 1954年のジュネーブ協定で南北ベトナムに分断
- アメリカ軍が撤退し、1976年に南北統一。
日本の占領下のベトナム国内で独立を果たそうと立ち上がったのが、ベトナム建国の父ホー・チ・ミン。
ベトナム共産党の一党独裁で社会主義を標榜しているが、「ドイモイ(刷新)」と呼ばれる市場経済を導入している。
マレーシア
マレーシアとシンガポールはとても近いので、日本との(ざっくりとした)関わりでは、ほぼ同じ歴史です。

- 20世紀初めにイギリスによる植民地支配が始まる。
- 1941年に日本軍がコタ・バルに上陸、1942年にはマラヤ全域を日本が占領。
- 1946年にイギリスの直轄支配下であるマラヤ連合に。
- 1963年、シンガポールや北ボルネオ等と統合し、マレーシアが成立。
- 1965年、シンガポールがマレーシアから独立。
マレーシアの対日感情は良く(ASEAN諸国における対日世論調査)、「日本は信頼できる/どちらかといえば信頼できる」は85%になります。マハティール・モハマド首相は「ルックイースト」(日本を見習おう)政策を打ち出しました。
マレー人(人口の69%)のほとんどはイスラム教徒です。
シンガポール
日本との関わりは、上で述べました。ラッフルズホテルの近くに戦死者慰霊碑があり、日本がシンガポールを占領したときに虐殺された犠牲者の遺骨が納められています。
マレーシアにはもともとマレー人が住んでいたのですが、植民地時代に華人とインド人が移住してきました。華人は教育熱心で成功者も多く、マレーシアの富を牛耳るようになったために、マレー人は「マレー人優遇政策」を取るようになります。その対立が激化し、1965年にシンガポールがマレーシアから分離独立します。池上さんの例えが秀逸で、「マレーシアからシンガポールの独立」は「日本から東京23区の独立」のイメージと書いています。経済的に豊かな華人の国のシンガポールには産業も水源地もありません。お金はあるけれど。
シンガポールは事実上の一党独裁で、「明るい北朝鮮」と呼ばれています。また、「罰金の国」なので、外国人がパスポートを持たずに外出すると、罰金を取られるんだそうです。
池上彰さんの本では、シンガポールではパスポートを持ち歩かなければ罰金を取られることがあると書かれていました。気になったのでネットの記事を調べてみたのですが、罰金を取られたひとの話はなさそうでした。
私なんかは、WDWでも持ち歩いてます。割引のときに求められることがあるので。いずれにしても、at your own riskってことですね。
インドネシア
インドネシアは世界最大のイスラム教国です。
- 17世紀にオランダが東インド会社を設立。オランダの植民地に。
- 1942年に日本軍が占領。
- 1945年に敗戦とともに日本が撤退。オランダが再び植民地化を行う中で独立戦争が始まる。
- 1949年、ハーグ協定によりインドネシア独立。
インドネシア独立戦争では、一緒に戦った日本軍の残留兵もいたそうです。そのためもあるのか、対日感情は、日本は「信頼できる」/「どちらかというと信頼できる」が86%になります。
デヴィ夫人(スカルノ大統領夫人)でも知られている国でもあります。
タイ
唯一、植民地にならなかった国です。明治維新と同じ時期に危機感を持ったチュラーロンコーン国王がタイの近代化を目指します。国王の指揮のもとに官僚組織と軍隊がつくられました。また、第2次大戦時も日本への協力姿勢を見せながらアメリカやイギリスとも裏でつながるなど両陣営との関係を維持することに成功しました。
タイ国王の権威は絶対的で、悪口を言うと不敬罪で逮捕されます。
フィリピン
- 16世紀にスペインによる植民地支配が始まる。
- 1898年にアメリカとスペイン間で戦争の結果、アメリカの領土となる。
- 1942年、日本による占領。
- 1945年、日本が撤退、アメリカの植民地に。
- 1946年、アメリカと条約を結び、独立。
1965年に反共産主義を掲げたマルコス大統領をアメリカが支援し、1986年まで長期間の軍事独裁政権が続きました。民主化への道を歩んでいるフィリピンですが、大土地所有制が残されたままなので格差が大きい状態が今も続いています。
現在のドゥテルテ大統領は、麻薬犯罪に関わるものは裁判にかけずに殺してしまうので、治安が劇的に良くなった反面、人権問題が指摘されています。
結果的にダバオから犯罪者がいなくなり、治安が良くなったダバオに外国の企業からの投資が入ってきて経済的に発展しています。
カンボジア
- 19世紀中頃からフランスによる植民地化。
- 1953年にフランスから独立
- 北ベトナムが南ベトナムの解放戦線を支援するために「ホー・チ・ミンルート」で物資を運んでいるのをシアヌーク殿下は黙認していた。それを断ちたいアメリカは、1970年に親米派のロン・ノル政権の樹立を支援。ロン・ノル政権とポル・ポトが指導していたカンプチア民族統一戦線との内戦に。
- 1975年、ロン・ノル政権が崩壊、ポル・ポトによる国民の虐殺が始まる。
- ベトナムを仮想敵国として交戦していたが、1978年にベトナム軍が反撃、ポル・ポト政権が崩壊。
- 1989年にベトナム軍が撤退、1991年にパリ和平協定。
肉体労働こそ望ましいという原始共産制を理想としていたポル・ポトは、知識人に対する敵意をあらわにし、皆殺しを企てました。知識人を見分けるために「メガネを掛けていればインテリだ」として、虐殺したそうです。
ミャンマー
- 19世紀末にイギリスの植民地になる。
- 第2次大戦中にベトナムを占領した日本が、「援蒋ルート(米英が蒋介石を支援するためのルート)」断ち切るために(当時の)ビルマを占領。
- 日本軍が撤退後にイギリスの植民地支配が復活。
- 1948年にビルマ連邦として独立。
日本が「援蒋ルート」を断つためにビルマを占領しようとしたときに目をつけたのが、イギリスからの独立運動をしていたアウンサンでした。しかしビルマを占領した日本は、傀儡国家をつくります。アウンサンは、今度はイギリスと協力して日本を追い出すと、今後はイギリスが植民地にしてしまうという、大国の都合に振り回されてしまいます。そこで、植民地経営の体力がなくなっていたイギリスと交渉しますが、1947年に乱入してきた男が銃を乱射し、悲劇の建国の父アウンサン将軍は建国に立ち会うことなく生涯を終えました。
その娘がアウンサンスーチーです。
次の旅はもっと理解してから
旅から帰ると「次回はもっと理解してから訪れたい」といつも思います。理解には到達点がないのだとは思いますが、もっと勉強してから行けばよかったと、いつも後悔します。でも、訪れることが、現地の人と交流することが、「理解したい」というモチベーションにもつながります。キリがないんですけど、その一助になる本だと思いました。
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